「夢って何?」って聞かれてすぐ返事できない自分が嫌い


14年

そう聞くとすごく長いなと思う。でもHey!Say!JUMPのファンとして生きた14年と振り返るとあっという間だった。なんかファンを辞めるみたいな雰囲気出てるけど辞めるわけではない。笑 ブログなんて書いたことないけど私にとって大きなことを決めたから書こうと衝動的に思った。普段文章を書かないからダラダラとそれこそ読むのに14年かかるくらい長くなりそうだけど書ききる。きっと最初で最後のブログを


私がHey!Say!JUMPに出会ったのは小学4年生。中学生の頃の記憶さえ曖昧だから残念ながら好きになった時のことを正確にも明確にも覚えてない。ただ特に誰も好きにならなかった私がある日クルクル回るかわいい少年を好きになった。何も知らなかったからその少年を同い年かなと思ってみていた。リベロの佐野選手と木村選手が好きだった。好きになった時の記憶はこれくらいならある。

次に私が記憶としてあるのがMyojoを初めて買ったこと。親がジャニーズ好きというのもあり雑誌買ってみたら?と本屋に連れて行かれ買った。082月号嵐が表紙で櫻井くんが真ん中のやつ。買ったことはギリギリ覚えているけどこの時の感情なんて少しも覚えていない。

そして、次の記憶が一気に飛んで5月。といっても発売してすぐ買ったかも分からないからこの出来事が6月なのかもしれないし7月なのかもしれない。これもまた親にCD買えばと言われ人生で初めてCDを買う。私の記念すべき初CDDreams come true2種類あってどちらを買えばいいのか分からなかった私は親にどちらがいいか聞き親に曲が多い方がいいのではと言われ通常盤を買った。その頃はまだ素直に従う私だったみたい、かわいいね。またまた買った記憶はあるのに感情は分からない。まあ昔のことなんてそんなものだよね。

こんな風にところどころ記憶はある。でも全てに置いて私がそれを見てかわいいと思ったのかかっこいいと思ったのか好きだなと思ったのかは全く記憶にない。だからこそ本当に好きだったのかさえ分からなくなるけれど当時好きだったからこそ今があるからきっとときめいていたんだろうね。



20094月ミニバスの1個上に知念くん好きな子がいてチケットをとってもらい人生初コンサートも無事JUMPに捧げた。他県に行くからお互い親いないといけないしその先輩の弟は行き私は友達と行き6人で入った。最初で最後の6連。この先もきっと6連はないよね。笑 

肝心の初ライブはライブというものに圧倒され叫ぶタイプの人間ではない私は周りがキャーキャー言ってるのが驚きでというより若干引いてて当時の日記にも隣の人がうるさかったと記してるくらいだ。そのインパクトが大きすぎて内容の記憶は本当にない。ただ1シーンだけ覚えているのがトロッコにのっている知念くんが笑顔でファンサしているところ。そしてこれが私が感情込みである1番古い記憶。知念くんの笑顔を見て知念くんだと思ったこと笑顔がかわいいと思ったことキラキラしてると思ったこと。バレーから数えて1年半はJUMPを見て何を思ってたのか全く覚えてないのに急にここからあるからやっぱり生の力はすごいなと思う。そして、このライブでトロッコに乗りファンにキラキラの笑顔でファンサする知念くんを見てときめいた瞬間に私の今日までの道は決まっていたのだろう。きっとこれからの道もね。



私はHey!Say!JUMPに大きく影響されて人生を歩んできている。田舎に住んでいたから東京でしかないSUMMARYやジャニワは当たり前に行けていない。スク革だってアナログの時は見れていたけど地デジ化してから見れなくなった。だから絶対にいつか都会に住むんだと思って生きていた。のんびり暮らしたいと思っているから絶対に都会に出るような子ではないし絶対に出たくもない。けどJUMPが好きだから都会に出るという強い意志は抱き続けていた。

いざ高校3年生大学進学を決める年。田舎だから周りに大学が全くないわけではないけどFランの大学1つしかないから家を出ることは決まっていた。もちろん私は東京の大学に行きたいと親に言った。しかし実家から遠すぎるまだ親の金で生きていくのだからそんなに遠くにはダメと言われあえなく断念。それでも少しでも都会に少しでも東京にということで関西の大学に進学。関西に行ってすぐに金メダル男のフライヤーと前売りを手に入れられて都会って素敵って思ったな(単純)。バスケが好きだったから部活に入って週6で励み長期休み時は2部練もあるくらいがっつりだったけどそれでも都会にいたおかげで金メダル男の舞台挨拶に行けたり念願の浜松ライブも簡単に行けて休みを有効に使ってオタクを楽しんだ。テレビに関してはいたジャンスク革映らないしWSのためにZIP録画して見返してたらいいところですまたんという訳のわからんローカル番組入って腹立ったけどそれもいい思い出。笑 伊野ちゃんがメレンゲでロケに来たところも行ったりしたな。話せば長くなるから書かないけどいろいろあって部活を辞めたから34年の時はたくさん現場も行けて楽しくてまさに憧れていたオタクとしての姿に近づけて嬉しかった。でも、やっぱり東京がいいという思いは消えなかったから就職は絶対に東京にするんだと思いながら4年間過ごした。




"「夢ってなに?」って聞かれてすぐ返事できない自分が嫌い"これはこのブログタイトルにもなっているし高校大学の時の私自身である。JUMPファンなら察しの通りそう、ただ前への歌詞。文字通り私は夢がなかった。大学も親に進学しろと言われたし周りも進学するからという感じの進学だった。学部選びも特に夢がなかったから何でもよかった。例えば看護だったら看護の道と狭まるのが嫌だったから一般就職でき、なおかつ楽なのがいいという理由で学部を選んだ。ぬるい考えだよね。そんな私だけど今でも自信をもっていえるくらい私は私なりに部活に全力で取り組んでいた。それはいいのかもしれないけどそれを理由に将来も深く考えなかった。部活を辞めて時間もでき自分の将来について深く考えるようになった。就活もはじめなければいけない時期でもあり特に何もしたいことがない私はとにかく悩んだ。今学んでることを活かせる職につくのか、福利厚生がしっかりしている企業に就くのか。これまでの人生ゆるっと決めてきた私にとってこの選択をすることはなかなかできなかった。これまで以上に大事な決断なのに過去の自分のせいで迷うことしかできなかった。いくら時間あっても足りなかった。でも時間は待ってくれないから自分の中で何を大切にするか決めて動き出さないと未来の自分が苦しむはめになる。

悩んだ末に私の出した決断は"好き"だった。好きなことを仕事にしようとそう決めた。この決断の後押しをしてくれたのも知念くんでこの決断に至ったのも知念くんを好きになったからである。私の大好きなアイドル知念侑李くんはダンスが好きとずっと言ってる。演技は苦手みたいで自信なさそうにしたりバラエティでも前に前にというタイプでもないけどダンスしてる時は自信に満ち溢れていて夢のない私には眩しいくらい輝いていてかっこいいなといつも見ていた。雑誌でもライブが1番好きと言ってるくらいだからライブ中の知念くんはいつも楽しそうでとにかく幸せそうだ。知念くんはどんな時も輝いていてかっこいいけどライブ中の知念くんはいつもの何倍何百何千倍も輝いている。きっとそれは照明があるからでもキラキラの衣装を着てるからでもない。知念くんが知念くんの好きな場所で好きなことをしてるからである。私は知らず知らずそんな姿に憧れを抱いていて理想となっていたみたい。私が就活する上で最も強く思ったのは私も知念くんのように自分の好きなことを大切にして自分らしく輝きたいということ。その思いを胸に私の就活がスタートした。ここですぐに夢に向かって頑張ればいいけど東京に行きたいという願望も捨てていなかったから自分の夢への一歩を踏み出しながらも東京になるように就活をする。執念って怖いってもちろん自分でも思ったよ。笑 無事に就活を終えて東京に私は就職し上京することになる。



念願の東京。そして、私が上京するのを待ってくれていたのかと浮かれさせてくれるタイミングで春から知念くんの初主演舞台が決まった。シフト制で休みがどんな感じか分からないけど自担の初主演舞台の初日と東京の千秋楽くらいは休ませてくれと思いながら申し込みをして無事に初日が当選し、東京楽は初日との交換で確保した。不安がいっぱいの中知念くんの舞台という希望だけを頼りにいざ東京へ。しかし私の希望はあっけなく消える。コロナの影響で全公演中止となった。家までの最後の直線でそのまっすぐな道を仕事帰りに歩きながら何度も何度も私は何のために東京に来たのだろうと思った。東京らしいこと何もせずに日々が過ぎていく。それでも夏が過ぎ秋が訪れ冬を越すと春が来ると信じて思いとどまった。1年目だから貯金もなくすぐに出るほどお金がないってのもあったけど。無事に今年は春が来て初主演を見届けることができてそれはそれは嬉しかったな。千秋楽も入りスタオベできて嬉しそうに会場を見渡す知念くんをこの目で見れたことはオタク人生の中でも上位に入る思い出。思い描いたオタクライフは全然できていないけど照カミ観劇は私にとって大きな決断をさせる一因ともなるくらい大きな存在だったらしい。



ここまで辿り着くまで長かった。14年前に戻ってそこから話を進めたからなのだけどシンプルに長い。カットカットのオンパレードでもこれだから本当に濃い時間を届けてくれてるんだね。

私がこんなわざわざ長文書くくらい大きなこと決めたそのきっかけはFab。ちなみに大きなこと言うても私の中で大きいだけで側から見たら決して大きいことではない。Fab以前も新しいことにチャレンジしていてCD、DVD、ライブなど1つの作品に対していろいろ考えられて私たちの元に届けられていたんだなと感じていた。しかしFabは桁違いだった。アルバムもライブも。突如YouTubeに現れたHoney bee。いつもと変わらず仕事の休憩に入ってスマホ見たらいつもと違う世界がそこには広がっていた。あの日の衝撃は忘れない。言葉が出ないってこういうことって思った。そのあとナイモノネダリと千夜一夜と続きJUMPの意志を感じた。特設サイトも凝ってて毎日がワクワクで溢れていた。童話×音楽というコンセプトも正体を隠してのプロモーションもJUMPが考えた。正直に言ってしまえばJUMPは歌って踊るだけでもいい。しかしアルバム1つに対してここまで深く考え作り上げどのように届けるかと広く考えることまでしている。仕事をするようになったからこそJUMPの仕事への取り組みをすごいと思った。と同時に自分の仕事に対する取り組みはまだまだだと思った。すごいなんて簡単な言葉で片付けられるものではないけど本当にJUMPはすごい。

有観客ではできなかったものの無事に行われたまだまだ記憶に新しいfabの配信ライブ。これはありちねが主体となって考えたもの。配信ならではの演出もありながら配信要素100%ではなく普段を感じられる演出もあった全ての演出に意味があり、ありちねを始めとする8人の思いが詰まったライブだった。本人たちも一万字とかで言っていたように昔は大人に言われたことをただやるだけだった。しかし今のJUMPは違う。自分たちで考え自分たちで自分たちを作り出している。ここ数年のこのJUMPの作品への関わり方に私は大きな刺激を受けた。私もより良いものを届けるために全力を尽くしたいという思いが芽生え始める。伊野ちゃんが時間は有限という。アイドルでいつまでいられるか分からないと。でもそれはアイドルの話だけではなく私にも言えることだ。知念くんのおかげで私は好きなことを仕事にしていて夢もできたけどずっとこの仕事ができるとは限らない。そう思うと生活をする上でもっと仕事に比重を置きたいと思うようになった。そして私の夢を叶えるには私はここから出ないといけない。悲しいけどね。でもやっぱりJUMPが好きでJUMPは夢にも負けないくらい大きな存在だから15周年まではここにいるって決めた。だから15周年過ぎたらここを出る。もう少し穏やかな街に行く。矯正してるからそれ終わるまでだし引っ越すお金なかったら15周年すぎてもすぐには無理だけど準備が整い次第必ずね。笑 本当はまだまだずっとゴリゴリにオタクしたくて20周年過ぎたらにしようとも思ったけどJUMPが限られた時間の中で真摯に己と向き合い私たちにたくさんの幸せを届けてくれてると思うと私も頑張りたいって思いが無限に湧いてくる。オタク中心に決めてきた私がこの決断をこんなにも早くするとは思わなかった。でもそうさせるくらいなんだよ最近のJUMPは。特に有岡くんの舞台の主演企画プロデュースと伊野ちゃんのぱぐぴ。あと、自担の初舞台と高木くんの初ミュージカルも響いたんだろうな。いつまで経っても私の人生はJUMPの影響あってこそだね。そんなこんなで夢って何って聞かれて答えれなかった私がオタクを少し我慢してまで夢に向かう覚悟を決めました。

2、3年はまだまだいるけど2、3年なんてあっという間だからいたジャンスク革もしっかり楽しみたいしいろんなところに行きたいな。こんなご時世だけど。オタクともいっぱい遊びたい。こんなご時世だけど。



文章はまとまってないけどダラダラと文字にすることで私の気持ちはまとまった。もしこの文章を最初から最後まで読んでくれている人がいるならそれはきっと某倉担だね。いつもありがとう。笑 もし某倉担以外で読んでくれたなら仲良くしてください。好きです。笑


ちなみに私の夢は隠してるわけではないから叶えるためにも文字にする。夢や目標を口にする有岡くんスタイルで。私は程よく自然があるところでのんびり暮らしながら温かさに溢れていて自分が好きと思える町のパン屋さんで地域のみなさんに美味しいパンを届けることです。


おしまい